こんにちは、じゅんこさんです。
最近はすっかり早朝のウォーキングが習慣となり、その時にはオーディブルで本を耳読したり、ラジオ(Voicyなど)を聴きながら、「なんか私すごいやん~」って、そんな自分にちょっと酔いしれております(笑)
さて、先日、伊藤羊一さんのVoicyをきいていて、着想を得たことについて書いてみようと思います。それはビリギャルで有名な小林さやかさんのエピソードに関することでした。
ビリギャルの本の中で、ビリギャルこと・小林さやかさんが「平安京や平城京が人の名前だと思っていた」、という主旨のことが書いてあったそうです。それに対して羊一さんが「みんな似たようなものだよね」と。
「俺は以前、大谷翔平選手を知らなかったしね~」と言いながら。
もしかしてこのエピソードをきいて、「えっ、そんなのも知らないの?」と思った方も多いかもしれませんが(私も一瞬そう思ってしまいましたが)、それは、たまたま自分が知っていることであっただけ。
ビリギャルの恩師である坪田先生曰く、「人によって無知の範囲が違うだけ」。
そう、ただそれだけのことであり、「知ってる・知らない」で人を判断するのは、おかしなことだし、よくよく考えると、なんだか傲慢にも思えてきました。結局それって、自分の中に持っている「常識」や「ふつう」の物差しではかって判断しているだけなんですよね。
私のお話をすると、会社員時代はサントリー関連のお仕事をしていたので、自然とワインやチーズに触れる機会がたくさんありました。常にそういう仲間が周りにいました。ワインもチーズもこの狭い世界の中では「共通語」であり「ふつう」でした。
また、以前はあるチーズ関連の協会理事やチーズスクールで講師をしていた時がありました。
生徒さんの中には、海外経験のある方や、ワインの資格をもっている方などたくさんいました。そこでチーズのお話をしていると、つい「今はナチュラルチーズを日本人もよく食べている」とか「このチーズはみんな知っているよね」…なんていう風に、勝手にルールとか思い込み等が作られていき、それが自分の「当たり前」となっていたように思います。
だけど、それらの思い込みをいったん「箱」にいれてみて、それを外から眺めた瞬間に「あれ、おかしいな」と気づいたんです。その中にいる「皆さん」はそうだったかもしれないけれど、もっと周りを見渡したら全然様子がちがうぞ、と。
もちろん、その様子を自分で俯瞰してみることができていたなら大丈夫なのですが、その狭い世界での「常識」が、世間の常識だと思っていることが問題なんだと思っています。
自分が思っている「常識」とか「ふつう」なんて、単に「自分の世界の常識」や「自分が属する狭い世界の常識」であって、一歩外へ出た瞬間に、それは「非常識」になったりするものなんだということを、わかっていることが大事だと最近思うようになりました。
だから、「当たり前」とか「ふつう」「常識」という言葉を、意識して使わないように心がけています。使ったら、いちいち「ふつうってないけどね」って訂正しています笑(以前はばんばん使っていましたが)。
今、毎月開催しているオンラインチーズ講座は、チーズのことを知らなくても興味があればウェルカムな状態にしています。知っている人も知らない人も楽しめるような参加型のクイズ形式にすることで、そこのハードルをさげています。
チーズを好きになるきっかけになればいいなと思ってやっています。
なので、最初から難しいことは言わないようにしていますが、それでも時々、まだまだ私は「これくらい知っていてふつう」と思っていることがあるな、と思ってしまうことがあります。
例えば
「カマンベールは知っているけれど、白カビチーズってなんですか?」
(講座の中ではちゃんと説明していますのでご安心を♡)
「クリームチーズは甘いと思っていたから、初めて食べてびっくりした」など
(名前の響きから、そう思っても納得!)
あ、これを読んで「私もそうだわ」って思う人がいらっしゃるかもしれませんが、全然恥ずかしくもなんでもないことなんです。そういうところも気づいていなかった~って私が恥ずかしいところなんです。
そんな風にチーズのことよく知らなくて、でもなんだか楽しそう!~そう思ってもらった人に、楽しいチーズの世界に触れて、もっと興味をもってもらうためには、私の余計な「ふつう」は何度も「箱」にいれて、外から俯瞰してみることを意識してやることが大事だなと、感じています。
知っていること・知らないことがみんな丸かぶりしていないからこそ、色んな人と出会い、新たな気づきを得られることが楽しいことなんですよね!それが成長なんだなって思います。